車がなくても、生活していけるから
というのが、主な理由のようだ。
確かに、生活していけるか否かという
判断基準だと、そのとおりだと思う。
しかし、そういった考えでよいのかね
と、おせっかいながらで思ってしまうのだ。
勿論、不況のためコンビニでおにぎりが売れてしまうほど(※)、
「それどころじゃぁない」というのは、あるのかもしれないが、
車を手放す代償というのは、結構大きいのではないかと思う。
(※)「ビンボーだから「おにぎり」が売れる? コンビニの昼食商戦異状アリ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080816-00000001-jct-bus_all
というのも、自動車をもつのと持たないのでは、可動面積が圧倒的にちがうのだから。
ためしに試算してみた。
【自動車を持つ場合の可動面積】
日本の国土は、38万平方キロで、2/3が森林だから、
ざっくり13万平方キロが人がいけるところ。
このうち、河川や湖沼などもあるだろうから、
まあ、10万平方キロくらいが、自動車をもつ場合の
可動面積と考えてよいだろう。
【自動車を持たない場合の可動面積】
日本の駅の数は大体、全国で9000。
で、駅からの1キロ圏内が行動範囲だとすると
9000×3.14 ≒ 2.8万平方キロ
凡そ、3倍程度、可動面積が違うということになる。
電車の時間を気にせず、行動できる点や、
荷物のことを考えないでもよい点などを考えると
心理的な可動面積は、もっと違っているかも知れない。
可動面積がちがうということは、
大げさに言うと世界の見え方が違うということだ。
人は、見たことがないものを存在しないものと
ついつい考えてしまう。
ですので、車を持ったことがない人は、
車を持っている人に比べて
3倍、世界が狭いと極論することもできてしまうのです。
車をもっている自分ですら、1,2週間車を運転しないで
会社と家の往復と、外の世界といったらネット
という生活をつづけていると、
久しぶりにドライブをしたとき、
自分の世界が狭くなってたなぁ
なんて気づかされることがある。
車を持たない人は、
車を持っている人の世界の存在をそもそも知らないので、
不便であるとも、世界が狭いなどと感じることはないだろう。
だから、よいといえばよいのだが、それが豊かかと問われれば、
うーんと、とならざるを得ない。
ぶらっといった公園で、紅葉がすごくきれいだった
とか、
旅行するほどではないけど、車で30分くらいの温泉でいやされた
とか、
そいうのってあるような気がするんだよなぁ。
下の記事に、セカンドライフで生計をたてるひきこもりの女の子を
紀伊国屋につれてってあげたら、とっても喜ばれたって話があるんだけど、
これと、車の話ってちょっと似ていると思う。
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-408.html
(この記事、とても感動的なお話です。是非一読ください。)
自分も、アマゾンで本を買うことが多くなっている。
それと同時に、駅から数分圏内の生活しか目に入らなくなってきている。
でも、日本にはそれ以外の世界にも
それぞれの営みがあるということを
忘れないようにしたいと思った次第だ。
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