このサイトは、javascriptを使用しています。javascriptをONにしてください。

大人の人生はおもしろいか

この質問に答えようとすること。これこそが、僕らの創造と豊穣の源泉なのである。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--)  スポンサー広告
▲このページのTOPへ

説明責任④

プロジェクトはおわらなくて良いのか~説明責任の落とし穴~

前々々回からひきつづいて、説明責任のお話です。
説明責任という言葉について、その有効性、どうしたら説明責任がもてるように
なるのかということを話してきました。
確かに、説明責任という言葉は我々の人生をおもしろくしていくのに強力な概念ではありますが、
万能なわけではありません。
使い方を間違えると、行き詰ってしまうのです。
今日はそういう話をします。

説明責任という言葉を厳密に考えると、
自らの行動のひとつひとつに理由をもとめようという傾向が出てきます。
つまり、誰かから突っ込まれたときに、ちゃんと説明責任をはたせるようにと
常に準備をしているわけです。
自分の行動だけなら害がすくないですが、
関係者にもそれを求めるようになると、害がでてきます。

あまりにも目の前の説明責任にこだわりすぎると、
なぜそうするのか?どうしてそうするのか?
と関係者に理由を求めてしまうので、仕事が遅くなってしまうのです。

そして、ひとつひとつのプロセスは正しいが、全体がうまく回らない状態
つまり個別最高全体最悪となってしまうわけです。
こうしてプロジェクトは遅れていくのです。

プロジェクトというのは、単にさぼっていても遅れてしまいますが、
説明責任を果たすよう一所懸命がんばってしまっても
遅れてしまうということになります。

では、どうすればよいか。
要は、さじ加減だよ。などとわかったようでいて、
なにも主張しないという愚かなことは、私はしません。


では、なぜ説明責任を果たすようがんばっても、
プロジェクトがおくれてしまうのでしょうか?


それは、説明責任という言葉が、保身の道具に悪用されやすい
性質を持っているからです。さらに、他人に向けられたときは、
凶器にもなるという性質を持つからです。
まさに、効き目が強い分、毒にも薬にもなるわけです。

説明責任という言葉は、誰かからつっこまれたとき
ちゃんと説明しなければならないということだから、
他人にたいする言い訳を常に考えておかなくてはいけない
ということになります。
そうなると、何かうかつなことをやって失敗すると
説明責任が果たせなくなると考えてしまいます。
そうすると、本当は、やったほうが良いし、
やってみたいと思うようなことでも、やらないほうがよい、
となってしまいます。
こうして説明責任という言葉が、保身に悪用され、
消極的な態度へ転化し物事をわるい方向に導いていってしまいます。


また、説明責任という言葉は人をいじめるときに抜群に効果を発揮します。
物事にはさまざまな側面があり、どういう視点に立つかによって
判断はまったく逆になることが良くあります。
そんなとき、説明責任という言葉をふりかざして、
相手を責めようとするば、いかようにも責めることができるわけです。
事前にリスクは認識できていなかったのか? とか
別の方法もあったのではないか? とか
いわれれば、確かに反論しにくいしものです。
説明責任という言葉は、いわば凶器にもなるといってよいと思います。


今の2つの例では、ひとつの共通する点があります。
それは一言で言うと”悪”ということになると思います。
前者の例では、本当はやったほうがいいとわかっているのに
やらない、つまりは不作為の作為という悪です。
後者の例では、そもそも根本思想が、人を傷つけるという悪です。


じゃあ、どうするか。


いいひとになればよいのです。
いいひとになって、人間的に正しい行いを
すればよいのです。

実は、個別最高全体最悪になっているような場合でも、
本人は、保身という気持ちが自分にあることは、
ちゃんと知っているはずです。
だって、やってる本人は気持ちがすっきりしていないはずですから。


人間的に正しいということは、実は視点が高いということでもあります。
だから視野狭窄におちいらず、全体最適を達成しやすいのです。


説明責任という言葉は、使い方を間違えるとプロジェクトは進みませんし、
人間関係も悪くしてしまいます。
しかし、いいひとであれば、説明責任という言葉の負の側面が出てこないから
うまくいくし、面白くなってくるわけです。


まとめると、次のようになります。
説明責任という言葉は、威力抜群ですが、使い方を間違えると、とっても困ったことになります。
使い方を間違えないためには、まず、いいひとであることが前提になります。
そのいいひとが、自分探しの旅にでて、自己規定をおこなうと
説明責任という言葉が正しく機能することになります。



【ブログランキングに参加しています。ポチッと一票入れてくださいね!】
ランキング
読んでいただいて、ありがとうございます。
スポンサーサイト
2007/03/17(Sat)  未分類コメント(0)トラックバック(0)
▲このページのTOPへ

コメント





















管理者にだけ表示を許可する

▲このページのTOPへ
▲このページのTOPへ
| HOME |
▲このページのTOPへ
プロフィール

やまいも

Author:やまいも
金融系システムの仕事をしています。
趣味は理屈をこねること。
そして、こねた理屈で人類の幸福を希求する。
これが私の願いなのです。

代表的な記事としては、次のものがあります。

「空気を読む」という言葉に内包されている危険な側面
人類の進化という観点から捉えた金融危機の意味について
自由論
HappynessとSuccessそして有能であるということ
やさしさについて
自我(エゴ)

twitter表示プラグイン
twitterユーザ名:yamaimo_
FC2カウンター
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。