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大人の人生はおもしろいか

この質問に答えようとすること。これこそが、僕らの創造と豊穣の源泉なのである。

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説明責任②

自己に対する説明責任

前回説明責任ということで、その理論、その効用
ちょっとした注意点を、ストレスと関連づけて説明しました。

その中で、”簡単なトレーニング”というようなこといいましたが、
その具体的なことについては、言及しませんでした。
今日は、その具体的なトレーニング方法について説明します。

そもそも”説明責任”といいましたが、何に対する何の説明責任なのでしょうか?
ここで”何”がふたつでてきました。この2つの”何”は、それぞれ何でしょうか?
前者の”何”は、それぞれ対象によっても違いますが、
おおむね自分の言動や自分の組織の言動といったところでしょう。
後者の”何”は、おそらく自分でしょう。
つまり、”説明責任”というのは、要は、
”自分の言動に対する自分の説明責任”
ということになります。

ここで、注目すべきところは2つの”何”がいずれも自分および、
自分に関連する事柄がでてきたことです。
つまり、自分というものが規定されていないと、
そもそも説明責任という言葉自体成立しなくなるのです。

じゃあ、どうするか。
自分探しの旅にでるということでしょうか?

その前に、ちょっと脱線をします。
”じゃあ、どうするか。”という重症なキーセンテンスがでてきたので、
これについてお話します。

先日、前勤めていた会社の同僚と飲む機会がありました。
そこの会社は、私自身も逃げ出したことからもわかるように、
業績もわるく、企業自身、組織、マネージャ達も
説明責任を果たすような文化ではなく、ストレスも多く、
その同僚は人間関係、待遇でも不満があるようでした。

そして、その同僚は次から次へと、組織、マネージャたちの問題点を
あげていって、あそこがわるい、ここもわるいとやっているわけです。
要は愚痴です。
しかし、いつまでたっても、”じゃあ、どうするか。”
というセンテンスがでてきません。

問題分析、つまりは、”あそこがわるい、ここもわるい”という
までは、とりあえず、よしとしましょう。
その次が問題なのです。
傍できいていると、なぜ”じゃあ、どうするか。”というセンテンスが
出てこないか不思議におもうのですが、これには、仕掛けがあるのです。
このこの言葉自体がもっている仕掛けです。
仕掛けというのは、隠れているということです。
ヒントは主語です。

日本語は、主語を省略する悪い癖があるのですが、
”じゃあ、どうするか”というセンテンスの主語は”わたし”です。
一方、”あそこがわるい、ここもわるい”というセンテンスの主語は、
他人です。
つまり、問題分析フェーズでは、評論家でいられたのが、
アクションプランを立てるフェーズでは、とたんに行動する主体が
”自分”へ変化するというわけです。
変化したとたんに、それまで、つばを飛ばして議論していたのが、
急に元気がなくなってしまうということになります。

では、なぜ行動する主体が”自分”になると、元気がなくなってしまうのでしょうか。
それは、自分で行動するのを嫌がるからです。
では、なぜ、嫌がるのか。
それは、自分が規定されていないからです。
嫌がるというより、自分が規定されていないから、
問題にどういったアプローチで対処するか方法が見つからないのです。

”じゃあ、どうするか。”という発言は、問題の当事者に積極的に
なっていくことを意味します。
問題の当事者になるので、ちょっとばかりタフな事態になることは
ときにありますが、当事者になることによって、良い部分もあります。
当事者になることは、アンテナがたつことを意味します。
アンテナがたてば、いろいろな情報がつながって、おもしろくなってくるという
ことにもなります。面倒なだけじゃないんです。

さて、本題の自己を規定するためには、自分探しの旅ですか?
というお話ですが、ここから先は、私がお話しすることは、実はあまりないんです。
なんせ、テーマが”自分探し”なので、その定義、方法、どれをとっても
1から10まで、自分で規定しないといけません。


この自己を規定するという作業は、ちょっとばかりめんどうです。
日々の雑務から、一旦切り離されなければ難しいです。
本当は2週間くらいの孤独があるといいでしょう。
ひとり旅なんてどうでしょうか。
なんせ、テーマが”自分探し”なのですから。
でも、旅に固執することはないです。
100点でなくても、50点でも、30点でも
一旦走りだすことが重要なのではないでしょうか。

自分探しの旅でみつけた”自己”は、具体的すぎると良くないと思います。
なぜなら、具体的すぎると、達成してしまうと先がないですし、
達成できなかったら、自分の価値がなくなってしまうということになります。

抽象的でもいいので、今後すくなくとも
20年くらいは、これででやっていけるという
普遍的なものがいいと思います。


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2007/03/05(Mon)  未分類コメント(0)トラックバック(0)
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Author:やまいも
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人類の進化という観点から捉えた金融危機の意味について
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