■西洋と東洋
前回、人間が行うソリューションには2つのタイプがあって、
それは、外的環境の改善と、内的環境の改善である
というお話をしました。
前者のアプローチを主に採用したのが、産業革命以来の西洋、
それに対して、一貫して内的環境の改善のアプローチを取り続けたのが、
東洋、という見方ができるのではないかと思います。
事実、西洋には、自然を征服するという思想がそこかしこに見受けられますし、
対する東洋には、仏教、ヨガ、禅、武術といった
身体技法をつかった、内的世界の統御方法をテーマにした
体系が数多くあります。
というわけで、この内的環境の改善のテーマたる、
自我(エゴ)の問題に関しても、東洋の文化を考察することは、
有益な示唆が与えられることが期待できます。
■瞑想の過程で起こっていること
チベットの僧侶たちは、厳しい修行を行いますが、
それは、多くは、瞑想を行うことによって、行います。
この瞑想という過程は、どのようなプロセスを踏むのでしょうか。
瞑想のプロセスに入るにはまず、「ピーク・アテンション」とよばれる、
意識の集中状態を実現します。
一般には、望ましい精神活動をしているときというのは、
アルファ波をだしているといわれています。
ここでは、より高周波であるガンマ波を出すといいいます。
この状態のとき、人の脳は、最大限の活動をしていることをあらわします。
何かに没頭しているとき、鋭いひらめきがあったとき、何かを深く学んでいるとき
などは、この状態にあるといわれています。
この状態を達成すると、次第に、意識が変性意識状態になります。
トランス状態といってもいいです。
要は、人が差し向けることができる注意のエネルギーを、自身の内的世界の一点に注ぎ込むことで、
現実の世界より、内的イメージの世界のほうが臨場感をもった状態になるのです。
このなると、2つのことが起こってきます。
ひとつは、認識力の高まりです。
ある研究では、瞑想を定期的に行っている人は、連続的な閃光を見せると、ちゃんと一つ一つの
光を認識できたのだそうです。
対して、瞑想を行っていない人は、連続した単なる光の連続としてしか
認識しないということです。
また、この集中した意識状態は、感情から切り離されることによっても、
知覚力を高めているという側面があるようです。
「EQ-こころの知能指数」の著者、ダニエル・ゴールドマンによれば、
瞑想者の大脳新皮質は、スピードアップするが、感情表出に関与する
大脳辺縁系からは切り離されているといいます。
つまり、感情から切り離されるから、的確な判断ができ、知覚力があがる、と。
そして、もうひとつは、自己認識の欠如です。
瞑想にはいり、ピーク・アテンションの状態になると
脳の前頭葉はより活発になるのですが、頭頂葉はあまり活動は見られません。
ここには、小脳扁桃という器官があります。
この器官は、自分という感覚や、外界からの感知する好悪の感情をつかさどります。
自分でない何かに極度の集中をするために、多くの場合、抽象度の高いより観念的な問題を考えることになると思うのですが、このようなことが起こるのかもしれません。
自己意識がないということは、自分と自分以外の境界を意識することはないということです。
いうなれば、世界との一体感ということになるかと思います。
■意識と自我(エゴ)の関係
さて、ここで重要なことは、瞑想という行為が極めて意識的な行為であるということです。
瞑想が、結果的には、自我(エゴ)の消滅をもたらすわけですが、
実は、ピークアテンションに持っていくには、意識の極度の集中という
極めて意識的、即ち自我(エゴ)的な行為をしなければならない、ということです。
意識の集中、すなわち、徹底的に自分そのものである思考の世界に没入していく、と。
そうすると、次第に自己とそれ以外の境界が薄くなって、自己の消失する、と。
そういう構造になっているのです。
逆接的ですよね。
例えば、極めてエゴイスティックな動機で持って、深い集中で持って内的世界で瞑想を行うと、
結果として、エゴがなくなってしまう、ことになるのですから。
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