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大人の人生はおもしろいか

この質問に答えようとすること。これこそが、僕らの創造と豊穣の源泉なのである。

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自由論4

■自灯明・法灯明

では、なぜ、自分をコントールできなくなるのか?

それは、プログラムが埋め込まれているからです。
以前ご紹介したように、人間には
’飢えている’という状態に適応するためのプログラム
がそこかしこに埋め込まれています。

僕らが、怖さとか、不安というものを感じる
もの、または、快・不快に関するものというのは、
概ね、プログラムと考えてよいです。


もちろん、そのプログラムが悪いというわけでは
ありませんが、自身の制御がきかず、
自分にとってプログラムが悪く動作するようなら、
書き換えを行う必要がある、ということです。


そして、自分自身の制御を奪うような
プログラムの書き換えを行いつくしてしまおうという思想として
自灯明・法灯明という思想があります。

これは、どういうことでしょうか。

自灯明・法灯明とは、釈迦が入滅する際、
師が亡くなったら、何に頼ればよいのか
と問う弟子に対してはいた言葉であります。

その言わんとするところは、
自らをよりどころとし、同時に、真理をよりどころにしなさい
ということです。

私も含めて、自らの言動というものは、
人から言われたこと、社会的常識、もっと根源的な安心安全欲求などの
プログラムに支配されています。

よくよく考えてみると思った以上に
自らの意思で動いていないことに気づくでしょう。

そこで、これらプログラムから徹底的に解放され
自らをよりどころとして生きよう、というのが
前半の自灯明の意味です。

しかし、自らをよりどころとしただけでは、
それは、自分勝手ということになります。

そこで後半の法灯明が出てきます。

法とは、真理というような意味です。

ここで真理を、客観的真実とか常識と解釈してしまうと、
前半で自分をよりどころにしてといっているにもかかわらず、
後半では、自分以外をよりどころにせよ、といっていて、
矛盾しているように感じられるかもしれません。


しかし、ここでいう真理と単なる客観的真実は違います。

東から太陽が昇るというのは客観的真実です。

真理とは、こういった客観的真実のことではありません。

自らを自身を深く深く突き詰めていくと
普遍的ともいえるようなところまでたどり着くことがあります。
それが事実かといわれれば、証明のしようがありませんが、
真理としか言いようのないところまで
たどり着くことがあります。

例えば、マザーテレサの言葉。
キリストの言葉であっても、ブッタの言葉であっても良いかもしれません。

その言葉の真偽のほどはわかりませんが、信じるに足る
よりどころにするに足る言葉というのがあります。

これを真理と呼ぶのです。

その真理をよりどころにせよ、といっているのです。



■もののけ姫 アシタカの言葉

では、自灯明・法灯明の思想でいきるということは、どういうことでしょうか。

ひとつは、プログラムから自由になり、
自らの意思で選択することです。

その結果、不安から解き放たれて、
あらゆることに迷いや葛藤がなくなり
ありのままに世界を見るようになるでしょう。



こういった世界には、ロールモデルがあります。

みなさんもきっと見たことのある映画です。

それは、もののけ姫のアシタカです。

もう12年前の映画ですが、いまだに覚えている印象的なセリフがあります。

「曇りなき眼で見定め、そして決める」

確かこんな感じのセリフだったと思います。

困難な状況にも、決して不安や葛藤をみせることなく、
平然とこういってのける。


これこそ、自灯明・法灯明を地で行く人物といってよいでしょう。



(次回へつづく)


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2009/03/11(Wed)  自由論コメント(4)トラックバック(0)
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コメント





















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[182]
【ウェブ】http://19971129.blog47.fc2.com/
【メール】

こんばんは。

今回も連作ですね。

自灯明、法灯明とは

利己的
利他的

と考えてもいいですか。

赤ん坊は利己的ですが、成長する過程で、教育によって利他的に生きることができるようになります。

利己的欲望と利他的欲望のベクトルが一致しないときよりも、利己的欲望と利他的欲望が一致するときのほうが、利己的欲望の満足感が大きいと思います。

このベクトルを一致させることができる能力を身につけることが、自由人への道ではないかと思ったりしています。


  • 2009/03/12(Thu) 20:09
  • やっちゃばの士
  • 編集 ]
[183]
【ウェブ】http://gokujoubusiness.blog120.fc2.com/
【メール】

こんばんは~。

お久しぶりです。

いや~、しばらくこないうちに、やまいもさん、大作をかかれるようになったんですねえ。
いいなあこういうの。僕も全5回くらいでなんか書いてみようかな。

さて。

「自分」ってのは不思議な存在ですね。
僕は絶望的なまでに僕自身を理解していないですし、だからコントロールも出来ない。
内臓もどうやって動かしているのか知らないですし、背中をじかに見たこともないし。

そういう存在だからこそ、せめてある程度コントロールできる部分くらいはしっかり制していこう、とつつましやかな決意のようなものを持っているつもりではあるのですが。

次回以降の展開を楽しみにしてますね。

  • 2009/03/12(Thu) 22:01
  • ドクエメット
  • 編集 ]
[185]
【ウェブ】http://sisousei.blog33.fc2.com/
【メール】

ドクさん

こんばんは。お久しぶりです。

>せめてある程度コントロールできる部分くらいはしっかり制していこう、

本当にその通りです。これができれば、すばらしいと思います。

以前のブログの更新をみていると、ドクさんは、それがかなりできているのではないかと思います。




  • 2009/03/12(Thu) 23:17
  • やまいも
  • 編集 ]
[186]
【ウェブ】http://sisousei.blog33.fc2.com/
【メール】

やっちゃばさん

こんばんは。一回コメントしたのですが、間違って消してしまったみたいです。もう一度書きますね。

>自灯明、法灯明とは

>利己的
>利他的

私の理解では、ちょっと違うかもしれません。
わかりにくい説明ですいませんね。^^;

自灯明とは、あらゆる判断を自分の判断で行いなさい、といういうことです。
ただここで自分といっているのは、プログラムから開放された自分というところがポイントです。
そうなると、本来の自分とでもいうべきものが出てくるので、かえって利他的な側面が出てくるかもしれません。






  • 2009/03/14(Sat) 21:30
  • やまいも
  • 編集 ]
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プロフィール

Author:やまいも
金融系システムの仕事をしています。
趣味は理屈をこねること。
そして、こねた理屈で人類の幸福を希求する。
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人類の進化という観点から捉えた金融危機の意味について
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