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大人の人生はおもしろいか

この質問に答えようとすること。これこそが、僕らの創造と豊穣の源泉なのである。

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パブリックな頭

ブログをはじめて、そろそろ半年くらいになる。


ブログを始めたのは、どうも、日本語が苦手で、
特に書くのがまずいので、もう少し自分の思ってることを
自由に表現できたら、なんというか、もう少し”漠然とした自由な感じ”がするんじゃないかと
考えてのことだった。


で、半年たっての感想。
一週間に一度くらいのペースだから、そんなに本数は多くないけど、
まあ、よくつづいているなぁとは思う。
で、”漠然とした自由な感じ”がするかということだが、
まだまだ、表現につまるところはあるけど、少しくらいは、
辺りがうすぼんやりしてきたような、
そんな気はしている。


で、ブログを書く前と後とどこが違ってきたのかを考えてみた。


ブログを書く前と後では頭の使い方がかわったような気がしている。

端的にいうと、パブリックな頭ということだと思う。
ちょっと端的すぎたので、ゆっくり説明します。


ブログを書く前も、考えていたことはいろいろあるけど、
それが、表現される形で結晶化されてこない
という感じだった。

なんかしゃべりたいんだけど、不特定多数にみてもらうような形にはならず、
なんかちょっとはずかしいし、
とか、
別に自分がしゃべることではない気がするし
とか、
自慢に受け取られないだろうか
とか
等々煩悶があって、
まあ、いいや、めんどうだ

となっていたわけです。



表現される形とは、思ったことをそのまま形にするということではなく、
読者を意識して、つたわるような形にするということだと思う。



僕の好きな劇作家、鴻上尚史は、そのエッセー集「真実の言葉はいつも短い」
の中で、次のようなことをいっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「表出」は何の推敲もなしに自己の感情を表し、自身がカタルシスを得るもの。
そして「表現」は、相手に理解させ、感動させ、動かしたかどうかというものです。
前者は視野に「自分自身」しかなく、後者は「相手」がいると認識しているか
どうかの違いといってよいでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鴻上尚史の言葉でいえば、以前は
表現のレベルにまで達していなかった、
ということになる。


で、今回わたしの言いたいことは、”表現せよ”ということなのである。
表出というのは、目的が個人的なカタルシスであるから、
どうもはずかしいとか、なにも自分が言わなくてもとか、そう思ってしまうのは当然なのです。
だって、自分のためだけに何かをすることって、大人の私たちにとっては、
もっとも苦手なことでしょ?

しかし、”表現”だったらどうでしょう?
表現は、一般性を持っているわけです。
ですから、ある意味で”世界に役に立つ”といえるわけです。
確実に役に立つかどうかはわかりませんが、伝わったという時点で
少しは”世界に役に立つ”可能性位はあるわけです。
これって、ちょっと素敵なことだとおもいませんか。


じゃあ、表出は悪いのかというと、それは違う。
悪くないけど、それは、大人のすることじゃあない。
というか、大人がしてもよいのだけれど、もうひと手間かけて、
”表現”にしたら、どうだろう?というのが私の考えなのです。

先の文章で、私は、”レベルに達していない”という言い方をしました。
これは、言葉を発したい主体が、勝手にしゃべっているわけなので、
余計なお世話ともいえますが、そうではありません。

夜中に突然いいことを思いついた!
とか、
このことは、多くの人にとって重大だ!
とか
心に強くおもうことって
あるでしょう?

そういうことは、だいたい正しいわけです。
直感的に正しいと思ったら、だいたい正しいのです。
本当は正しくないかもしれないけど、一旦は正しいとしてよいのです。

正しいことを、ぐだぐだ自分の中だけにとどめておくというのは、
それは、人間が人間である以上、不健康なことです。


だから、それを外に表現しないのだとしたら、
それは、言葉を発する人の趣味の問題というより、能力の問題、意識の問題と
極論を言ってしまうことができるわけです。

しがたって、能力をつけましょう。
それをするには、特に”こつ”はないわけですが、
よく考えるとよいです。

よくよく考えていくと、問題というものは、自意識という重力圏を離れて、純度がたかまり、
よりパブリックな方向へとすすんでいってしまうものなのです。

自分の頭が、世界を構成する一部となったら
そいつは、とっても、素敵なことじゃあ、ありませんか。




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2007/07/30(Mon)  未分類コメント(0)トラックバック(0)
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金融系システムの仕事をしています。
趣味は理屈をこねること。
そして、こねた理屈で人類の幸福を希求する。
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「空気を読む」という言葉に内包されている危険な側面
人類の進化という観点から捉えた金融危機の意味について
自由論
HappynessとSuccessそして有能であるということ
やさしさについて
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